セキデン マジックコルト MC-50

セキデン マジックコルト MC-50

写真&解説 YAS

解説

今回紹介するのは本コーナー最古となる一丁、セキデンのマジックコルト MC-50という銀玉鉄砲だ。
なんと1959年製の現物そのものをメーカーよりお借りすることができた。

1959年(昭和34年)というと、進駐軍がようやく撤退、戦後復興はひと段落し、これから高度経済成長期に突入しようかという時代。1958年には銃刀法が施行、東京タワーが完成、テレビ放送も増え始めた。まだ固定相場で1ドルは360円だった。

国内トイガン事情では貿易自由化に伴い、上野の中田商店がヒューブレー、マテル製などの海外製トイガンを輸入販売しはじめたころだ。

セキデンは現在、大阪に本社を置く、洗濯バサミなどのプラスチック製品の製造会社だ。
マジックコルトの弾は当初は再々生プラスチック原料だったが、より安価にして子供たちに遊んでもらうために、創業者である矢野茂氏の故郷、大分県で多く産出した珪藻土を使用した弾に変更された。またセキデンという社名も大分市の碩田という地名にちなんだものだ。

当時流行っていた西部劇で使用されていた銀の弾丸をみて、子供たちが喜ぶと考え、この珪藻土を球状に丸めたものにアルミ粉で着色した。

弾を飛ばす構造はシンプルなスプリング式で初代のMC-50では後部の棒を引っ張ってコッキングし、引き金を引くとバイーンという音とともに弾が発射される。その後の製品では、引き金を引くだけで弾が発射できるセミオートマチック構造に改良された。

銀玉鉄砲は60年代~80年代くらいまで駄菓子屋などで手軽に買えたが、その駄菓子屋すら珍しくなってしまった現在では、まったくといいほど見かけなくなってしまった。
銀玉鉄砲は昭和生まれの男の子なら一度は手にして遊んだことがある、マストアイテムだったのだ。



マジックコルト MC-50は1959年発売。生産数は約50万丁から70万丁だった。当時の価格は50円。
当時他に玩具銃がなかったわけではなく、円柱状のプラ玉をマガジンに装填して撃つスプリング式ピストルは存在したが、セキデンは弾を球状にしたことで、本体上部から弾を流し込んで自由落下により給弾でき、装弾数が増えただけでなく、パーツ点数が減ってコストも下げられた。


赤い小箱に入った50発入りの銀玉。この銀玉は1960年(昭和35年)に発売された。50発入りで5円。
1958年から放映された米国のテレビドラマ『ローン・レンジャー』という西部劇に登場したシルバーチップの弾薬をみて銀色になった。


七輪などに使用される植物性の軽い土、珪藻土を丸めた弾で銀色のアルミ粉で着色されている。かなり歪だが直径は6.7~6.8mmほど、重量は約0.18gだ。弾の作成には正露丸などの丸薬を作る機械を利用したという。


こちらは昭和44年頃に発売されたゴールド弾。銀玉と同じく珪藻土製で真鍮と銅を混ぜた粉で着色された通称「キンタマ」。そのレア度もあって少年達に大いに受けたとか。とはいっても金色というより銅色だが。


こちらは再々生プラスチック弾。素材に少し粘りがあり、パーティングラインやゲート痕がある。直径は6.2~6.3mm、重量は0.2gほど。


セキデンが法人化する前に製造を始めたというMC-50。当時は高価な油圧射出成型機が導入できず、人力による射出成型機を使っていたため、小さいものしか作れなかったようだ。


左右張り合わせのモナカ構造で真鍮製のネジとナットで留めてある。弾は銃口ではなく、その下のフレームの穴から飛び出す。その実質的銃口からオイルを垂らすよう、メンテナンスの指示がある。


もとになった実銃はないとのことだが、 あえて言うならばコルト.32オートに似ていなくもない。


グリップもトリガーガードも大人の手には小さすぎる。


後部のフタを開けて弾を流し込む。樹脂製銀玉で装弾数は40発ほどだ。


後部にある棒上のパーツを引っ張ってコッキングして、トリガーを引く。するとバイーンと弾が発射されて棒が元に戻る。

初速は12.7m/sほどでジュール換算で0.016J。新聞紙1枚を接射しても貫通しない威力だ。
飛距離は少し山なりに撃っても3mほどだろうか。2、3m先のA4ターゲットに何とか当てられるかといったところ。ずいぶん上を向けて撃っても5m先のマンターゲットには落ちるように当たる。



MC-50のヒットを受けて、1960年(昭和35年)に発売されたMCA-300オートマチックマジックコルト。引き金を引くだけで弾が発射されるようになった。昼夜問わず稼働させられる油圧射出成形機を導入し、生産数は200万丁にのぼった。


MC-50同様にモナカ式だが、ナットはなくなりマイナスネジでの固定となった。サイズはやや大きくなり、厚みも増している。全体的に曲線的なぽっちゃりした形状。
このMCA-300も弾は銃口ではなく、その下のフレームの穴から飛び出す。


装填用の蓋は本体上部にスライド式となった。装弾数は約140発とMC-50にくらべて3倍以上となった。



1962年(昭和37年)発売のSAP.50セキデンオートマチック。生産数は驚異の約5000万丁!!!。駄菓子屋以外にも玩具店や、さらにはアメリカ、カナダ、イギリス、ドイツなど、海外にも輸出され、その名を轟かすことになる。


MCA-300からスタイルはガラリと変わってエッジの立った直線基調のデザイン。スライドキャッチやセーフティレバー、マグキャッチなどのディティールもモールドながら再現され、トリガーもワイド化されている。基本デザインはコルトガバメントといったところだろうか。
マジックコルトの共通仕様として、弾は銃口ではなく、その下のフレームの穴から飛び出す。スライド内部はすべてマガジンということになる。


給弾フタの突起がVノッチのリアサイトになっている。ハンマーの造形も再現された。
なお、本モデルからマジックコルトの文字が消え、セキデン・オートマチック・ピストル(SAP.50)という名称になったのは、海外輸出においてコルトの商標を避けたからと思われる。


弾は80発ほど入る。中央部に稼働する仕切り板があり、これにより装填詰まりを起こしにくいようにしている。SAP.50は1995年まで製造され生産終了となったが、2009年に完全新規製作の復刻版が製造された。


給弾口にバナナマガジンが装着されたことで装弾数は300発となり、クロスレティクル風スコープやサプレッサーが装着されたカスタムモデルのUM-300。

MC-50はその後の製品に比べて少し小さいことが分かる。


MC-50は幅がなく薄い。スライド部の全幅は16mmほど。MCA-300やSAP.50では24mmほどになる。


MC-50の取説。学生帽をかぶったイラストと言い、時代を感じさせる。 マニュアル.PDF (6.83MB)


当時のSAP.50パッケージ。海外での販売を前提としているためほとんどが英語表記となっている。また、上から張り紙がしてあり、ラック パケジ タイプ SAP.55というモデル名となっている。拡大画像

ラックパッケージ
SAP.50が1ダース入ったラックパッケージ。

DATA


発売年 1959年 (MC-50)
1960年 (MCA-300)
1962年 (SAP.50)
発売時価格 ¥50 (MC-50)
¥50 (MCA-300)
¥100 (SAP.50)
全長 実測 140mm (MC-50)
実測 131mm (MCA-300)
実測 141mm (SAP.50)
重量 実測 34g (MC-50)
実測 43g (MCA-300)
実測 56g (SAP.50)
バレル長 -mm
発射方式 ストライカー式
使用弾 銀玉
装弾数 40発 (MC-50)
平均初速 12.7m/s (=0.05J)

撮影協力:株式会社セキデン

2022/10/20


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