ドイツ戦車解説 Ⅳ号戦車

PzIV.Saumur.000a5s6s

PzKpfw IV Ausf.H on display at the Musée des Blindés in Saumur. The picture taken August 8, 2006. photo by Fat yankey.

1934年陸軍兵器局は、将来の機甲師団の主役となる新型戦車の開発を命じた。当時はまだベルサイユ条約下にあった為に、新型戦車は「小隊長車」「大隊長車」の秘匿名称が与えられていた。「小隊長車」は後のⅢ号戦車であり、「大隊長車」はⅣ号戦車を指していた。

軍は各メーカーへ試作車の製造を命じたが、その中で選ばれたのがクルップ社の製造したVK2001(K)である。1937年10月には試作車が完成し、Ⅳ号戦車と命名された。当初Ⅳ号戦車に搭載された75ミリ砲は24口径の短砲身砲で、対戦車戦闘よりもⅢ号戦車を支援する目的で開発された。その開発にはグーデリアン将軍の意見であった、機動力、武装、装甲、通信の4つが重要的に開発されている。

当初は装甲師団の中戦車大隊で使用されたが、Ⅲ号戦車の火力不足が明らかになると、次第に装甲師団の主力として使用される様になっていった。

独ソ戦が開始されると、次第にⅢ号戦車の火力不足が明らかとなり、Ⅳ号戦車が対戦車戦闘の正面に立った。だが、24口径の75ミリ砲では、ソ連の新型戦車であるT34中戦車や、KV1重戦車にはやはり火力で劣り、1942年には43口径75ミリ砲搭載のF2型が200両製造された。この戦車の登場で、ドイツ軍の戦車はようやく火力でソ連軍戦車に対抗することが出来たのである。

また、ドイツアフリカ軍団でも同様の事情となっていた。イギリス軍が装備するアメリカ製M3グラント中戦車に対しⅢ号、Ⅳ号戦車の砲弾は尽く跳ね返されていた。6月頃になるとロンメルの部隊にもF2型が配備され、その威力にイギリス軍からマークⅣスペシャルと呼ばれ、恐れられたという。

Ⅳ号戦車の中で最も生産されたのが、H型である。その生産数は3,774両と呼ばれ、5名の乗員と48口径の75ミリ砲を搭載し、最大装甲厚が80ミリとなった。300馬力のエンジンは最高時速38キロを出し、200キロの行動距離があった。また、Ⅳ号戦車の課題である薄い装甲を少しでも厚くするために、1942年に生産されたG型から、砲塔周りと車体側面にはシュルテェンと呼ばれる追加装甲が取り付けられた。

一般にドイツ軍の戦車戦エースといえば、ティーゲル戦車やパンター戦車を想像しがちだが、Ⅳ号戦車にもエースは存在している。第12SS戦車連隊のヴィリー・ケンドラーSS少尉はなんと24両もの敵戦車を撃破している。

Ⅳ号戦車は大戦初期から大戦末期に至るまで、実質的にはドイツ軍戦車の中心であり、その生産数も8,000両にも上るといわれている。また、Ⅳ号戦車の車体を流用して作られた自走砲、駆逐戦車は数多い。

88ミリ砲搭載の自走砲ホルニッセ、Ⅳ号突撃砲、Ⅳ号駆逐戦車、15センチ榴弾砲搭載のⅣ号戦車ブルムベア、15センチ砲搭載のフンメル、更にはⅣ号対空戦車ヴィルベルヴィントなども製造された。

その生産数と多くの戦線での活躍から、Ⅳ号戦車はドイツ軍の軍馬と呼ばれることが多い。

(藤原真)