ドイツ軍の傑作戦車ティーガーI型と西部戦線での活躍

ティーガーI型

ティーガーI型重戦車 (img:wikipedia)

ティーガーI型重戦車が始めて戦場に出現したのは1942年8月29日、東部戦線レニングラード近郊ムガでの戦闘に参加したのが最初であった。
ティーガーI型重戦車は、今までのドイツ軍戦車とは全く異なった重装甲と強力な88ミリ砲を搭載し、敵戦車砲の射程外から攻撃をする、言わばアウトレンジから敵戦車を破壊する能力を持っていた。
東部戦線においてもティーガーI型重戦車は絶対的な強さを見せ付けた。当時の戦車兵たちから最も頼りにされた戦車であった。戦車戦エースのオットー・カリウスはティーガーI型重戦車をこう評価している。
「戦車の強さはその装甲と機動性、最終的には火力だった。この3つの要素をバランスよく兼ね備えれば最高の戦車ができる。
そして、この理想を実現したのが私たちのティーガー戦車だった。」
1944年6月6日のノルマンディ上陸作戦では17万者もの連合国軍兵士が一挙に押し寄せて第二戦線を作った。これが俗に言う西部戦線である。
西部戦線を順調に拡大していた連合国軍兵士たちは、しばしドイツ軍の強力な防御兵器に悩まされた。そして、最も彼等を恐怖に陥れたのがティーガーI型重戦車との遭遇だった。
当時のアメリカ軍の主力戦車は76ミリ砲搭載のM4シャーマン戦車だった。シャーマン戦車の砲弾はティーガーI型重戦車の強固な前面装甲を貫通することが出来なかった。その代わりにシャーマン戦車はティーガーI型重戦車の88ミリ砲によって簡単に撃破されていった。
一連のドイツ軍戦車部隊との戦闘後に、連合国軍戦車兵達は「ティーガー恐怖症」を患ったと言われている。それはティーガー戦車と遭遇しただけで、戦車兵達 はパニックになって、戦闘を拒否するか、戦車を放棄して逃げ出したのである。やがて、アメリカ軍の上層部は「ティーガー戦車とは戦闘をするな」と言う命令 を出したと言われている。

東部戦線のティーガーI型戦車 (img:wikipedia)

実際にティーガーI型重戦車がどれだけ強力な戦車だったかと言うと、ティーガー戦車1両に対して、シャーマン戦車5両で性能が相殺されたと言われている。
ティーガーI型重戦車に遭遇したら、前面以外の装甲が薄い側面や後部に回って戦車を破壊する戦法が採用されたが、平坦な場所では必ずしも有効な方法ではなかったと思われる。
連合国軍戦車兵恐怖の的となったティーガーI型重戦車の活躍は、東部戦線でより強力なソ連軍相手に戦ってきた歴戦の戦車搭乗員によるところが大きい。
実際ティーガーI型重戦車は、整備に手間が掛かり、当時のドイツ軍整備兵らは恐るべき忍耐力でこの戦車を戦場に送り出していたのである。
文章: 藤原真