台湾軍新小銃 XT112 台湾国際航空工業展 2023

陸上自衛隊 土浦駐屯地 武器学校の銃火器

[PART.1] [PART.2]


武器学校・土浦駐屯地開設71周年記念行事にて解放された小火器コーナーの展示銃器を紹介する。武器学校では月に1回、展示開放しており、予約すれば見学できる。


なお、各銃器の解説は展示に基づきつつ、補足も付け加えている。


鉄砲の伝来は戦国時代の1543年。明船に乗ったポルトガル人から鹿児島県の種子島時堯へ火縄銃が伝えられたとされる。当時の鉄砲は火縄を使用した火打ち式(マッチロック)で、鉛球弾をバレル先端から装填する前装式(マズルローダー)でライフリングはない。鉄砲の伝来以降、日本国内でも鉄砲が製造され、薩摩で作られたものは薩摩筒と呼ばれた。


江戸期、幕末になると発火方式がフリントロック式を飛ばして、管打式(パーカッションロック)となり、各藩が輸入するようになる。日本では前装式の管打式の洋銃はゲベール銃と呼ばれていた。ゲベールとはオランダ語で小銃を意味する。フランス語のマスケット銃と同様だが、1832年に日本がオランダからゲベール銃を輸入する際、オランダ語を軍事用語として採用することが条件だったため定着した。
写真の上2丁は国内製で、堺 三十六、近江 富岡吉久作。下はフランス製でオランダ制式のもの。


少年用ゲベール銃は小柄な少年たちでも扱えるよう銃床を小さくしたもの。また、この銃には土州 二谷と銘が入っており、土佐(現在の高知県)で製造されたもの。
ゲベール銃、マスケット銃は欧米ではライフリングが刻まれミニエー銃に改修されたが、日本では改修されなかった。


戊辰戦争では欧米の最新銃が輸入され、薩長土佐を中核とする新政府軍と、幕府軍双方で使用された。
スペンサー銃(上)は1860年にアメリカで発明された口径12.5mmの床尾弾倉式7連発銃で、アメリカ南北戦争(1861-65)で使用された。その戦後に余剰となったスペンサー銃が佐賀藩によって輸入され、戊辰戦争(1868-69)で使用された。口径12.5mm、6条右回り、装弾数7発、全長940mm、重量3.85kg。
スプリングフィールド M1863(下)はアメリカのスプリングフィールド造兵廠において1863-65年に製造された口径14.7mmの最後の前装式ライフル銃で、南北戦争で最も使用された銃。南北戦争後は後装式に改修され長らく使用された。口径14.7mm、3条、全長1355mm、重量約4kg。


ウェストリー・リチャード銃 砲兵銃型 (上)。19世紀中ごろに開発された初期の後装式ライフル。弾丸と紙包火薬を装填し管打で発火する。日本では幕末に輸入され、リシャール銃、あるいはレカルツ銃と呼ばれ長州藩で多く所持、主力小銃として運用された。口径15mm、ライフリングは4条。
オランダ製 ミニエー銃(下)。オランダのマーストリヒト スナイダー社で1865年に製造された銃。口径15mm、前装・管打式でライフリングは4条。


明治初期になると国産小銃が開発される。
十三年式村田銃(上)は、明治13年(1880年)に村田経芳(むらたつねよし)によって開発された最初の国産小銃。当時のヨーロッパの近代的な小銃を研究し開発され、他国の銃に引けを取らない機能と性能を備えていた。単発式、口径11mm。
十八年式村田銃(下)。明治十八年制式。十三年式村田銃の遊底及び銃剣等の寸法を短く軽量化したもの。弾薬も改良され初速や威力も増した。単発式、口径11mm。


村田銃連発銃。明治22年制式。日本初の無煙火薬を採用した8mm口径の連装式小銃で、銃身下のチューブマガジンに8発の弾薬を装填できる。連発と言ってもフルオートで撃てるわけではなく、ボルトハンドルで装填操作する。下は明治27年制式の全長を短くした村田銃連発騎銃で装弾数は5発。


幕末には拳銃も多く輸入、製造されるようになる。


ハリントン&リチャードソン ブルージャケット。


日本(製造不明) 中折式 単発ピストル。


日本(製造不明) パーカッション銃。


日本(製造不明) リムファイアー。メタルカートリッジが登場したころは発火薬の場所も試行錯誤があり、カートリッジ後部のリムを叩いて発火させるリムファイヤー、カットリッジから飛び出たピンを叩いて発火させるピンファイヤーなどがあった。


S&W モデル2 RF(リムファイアー)。


コルト M1851 ネービー。


改造 火縄銃。もともとは管打式銃として製造されたが、着火するための雷管が入手困難となり、部品の調達が容易な火縄式に改造したもの。雷管式のハンマー(コック)を削って火縄を挟めるようにし、ニップル部に火皿を取り付けている。


S&W モデルNo.3 ショフィールド M1875。Schofieldはスコフィールドとも呼称される。


アウグスト・フランコット・エト・CIA ルフォーショー ピンファイアー リボルバー。
フランス人のルフォーショーによって考案されたピンファイアーリボルバー。スウェーデン騎兵隊用に7000丁がベルギーのオーガスト・フランコット社製によって製造された。口径11mm。


明治後期になると6.5mmの小口径を採用する小銃が開発される。
三十年式歩兵銃 (上)。明治30年(1897年)に採用されたボルトアクション式の歩兵用小銃。日露戦争では帝国陸軍の主力小銃として使用された。開発者は有坂成章で55万丁が製造された。海外ではアリサカライフルの名でも呼ばれている。口径6.5mm、装弾数5発、全長1275mm、重量4.05kg。
三八式歩兵銃 (中)。三八(サンパチ)式で有名なこの銃は明治38年に制式化され、終戦まで35年間に渡り使用された。機関部の構造が斬新で遊底と安全子が簡略化されており、分解も工具を必要とせずに容易だった。総生産数は200万挺を誇る。口径6.5mm、装弾数5発、全長1275mm、重量4.1kg。
三八式騎兵銃 (下)。明治41年頃から生産が開始された。銃剣は着脱式で鞍に縛着する様式。騎兵銃に銃剣を装着できるようにしたのは世界初。四四式騎兵銃が制式化してからは、主に砲兵、輜重兵や車両部隊の武装として使用された。口径6.5mm、装弾数5発、全長965mm、重量3.3kg。総生産数は43万挺。


イ式小銃(上)。日本の発注によりイタリアで生産された小銃で、イタリアのカルカノライフルと日本の三八式小銃双方の性質を併せ持つ。主に海軍部隊により用いられた。口径6.5mm、装弾数5発。
四四式騎銃(下)。明治44年制式、騎兵用の折り畳み式銃剣(三角形の槍状尖刀)が前部に取り付けられた小銃。第二次世界大戦終了まで陸軍で使用された。


昭和期になると6.5mm口径の威力不足を補うために7.7mm口径弾を採用した小銃が開発される。
九九式小銃(上)。昭和14年(皇紀2599年)制式、皇紀末尾の二桁を取って九九式と名付けられた。三八式小銃の口径を6.5mmから7.7mmにし、威力を増加させた。装弾数5発。
九九式短小銃(下)。九九式小銃は長短生産されたが、短いほうが多く生産されており、始め九九式短小銃と呼ばれていたが、後に長いものの生産が中止されると、単に九九式小銃と呼ばれた。


九九式小銃(後期型)。終戦年の昭和20年初期に生産された小銃で、資源不足や生産技術が低下しているのが銃自体に顕著に表れている。特徴的なのは銃中央の反動止めが大きくなり、銃床部の金属板が木製になり、照尺が固定式となっている。


九九式狙撃銃。昭和14年(皇紀2599年、1939年)に制式となった九九式小銃をベースとして製造が開始され、特に九九式小銃の中期型をベースにしているものが多く生産された。銃の左側に、照準眼鏡の取り付け台座があり、槓桿の握り部分が曲げられているのが特徴。照準眼鏡は収納箱に入れられ大切に持ち運びされた。口径7.7mm、重量3.8kg、装弾数5発。


井澤式訓練銃(上)。軍事教練用に作成された訓練銃。詳細不明。大阪北区天満橋にあった井澤銃砲製造所は訓練用の小銃、銃剣、軽機関銃、擲弾筒などを製造販売していた陸軍認定の軍銃修繕工場だった。
教練用模擬小銃(中・下)。各学校等において射撃を実施しない訓練用として使用された。


三年式機関銃。大正3年(1914年)に陸軍制式。銃身の交換が容易で、故障が少なく、命中精度に優れた機関銃だった。満州事変以降、弾薬の威力不足が目立って、大口径の機関銃の要求が強くなった。口径6.5mm、30発保弾板。


十一年式軽機関銃。大正11年(1922年)に制式となった我が国初の本格的軽機関銃。分隊兵器の先駆け。
弾倉に小銃と同じ挿弾子でまとめた5発の弾薬を挿入する他に類を見ない給弾方法であったため、部品点数が多くなり構造が複雑になった。口径6.5mm、30発装填架式。


九二式重機関銃。皇紀2592年(昭和7年、1932年)に日本陸軍制式。三年式機関銃の6.5mmを7.7mmに拡大し威力を上げ、さらに低い姿勢にて射撃を行えるよう改良を加えた。三脚架または高射用托架に取付使用した。九九式小銃とは口径が同じだが弾薬の互換性はない。口径7.7mm、30発保弾板


九六式軽機関銃。仮制式した昭和11年(皇紀2596年)の下二桁を取り、昭和13年(1938年)に制式化された。口径6.5mm、30発箱型弾倉。



照準眼鏡を装備し、薄暮、黎明時など比較的暗い状況での照準を可能とし、他国には見られない着剣装置を備えている。


金山式九六型軽機関銃。豊橋市にあった合資会社金山久次郎商店の昭和15年頃の商品カタログに掲載が見られる。訓練用の機材であるが、軍用小銃の空砲を撃つことができる。実包及び木弾空砲は使用できない。


九七式車載重機関銃。昭和12年(1937年、皇紀2597年)に制式。九二式重機関銃と同じ弾薬を使用できる銃で、九七式中戦車など様々な車両に搭載された。また、二脚を取り付けることで地上用として使用することもできる。チェコ機銃ZB-26の機構をそのまま採用したが、チェコにはないガスの強さを調整する規整子がある。口径7.7mm、20発箱型弾倉。奥は九七式車載重機関銃のカットモデルでガスピストン式構造の遊底が見られる。


九九式軽機関銃。昭和14年(1939年、皇紀2599年)に制式。九六式軽機関銃の口径を6.5mmから7.7mmに大きくし、九二式重機関銃と同じ弾薬を使用できる。銃床の下に脚がとりつけられ、より低い姿勢で射撃できるようになった。口径7.7mm、30発箱型弾倉。


十式擲弾筒。大正10年に制式となった手榴弾を遠くに飛ばす日本独自の兵器。遠方からの大砲では敵味方の距離が近く(200m程)なると、味方に当たる危険性が高くなるため、近くの敵を歩兵が攻撃できるよう考案された。海外でも評価が高く、現代のグレネードランチャーの元となった。


擲弾の口径は50mm、射程距離は5~220m、ランチャー重量2.6kg。


八九式擲弾筒。昭和4年(皇紀2589年、1929年)に制式となり終戦まで使用された。弾種は榴弾、発煙弾、照明弾、信号弾、催涙弾などが状況により使い分けられた。後端末にある駐板(円弧状)の形状から、米兵はこの部分を大腿または膝に当て射撃するものと考え、「ニー・モーター」と呼んだ。
口径50mm、ライフリング8条右回り、重量4.7kg、射程120~670m。


1930年式要塞ライフル。中国製造、日中戦争の戦利品。口径20mm、全長3000mm、銃身長2450mm。


戦時中の拳銃。


コルト ポケットモデル オートマチック。


レライアグル。コルト ポケットモデルのスペイン版。詳細不明。


ファブリック・ナショナル・ド・アームス・デ・ギレ ベビーブローニング。


ファブリック・ド・ヤンセン ブレベッツ。


リトラザ・ハーマノス リバティ M1924。


東京工廠・東京瓦斯電気 南部式小型自動拳銃。
約6500丁が作られたうち、100丁ほどが陸軍大学校の卒業者の中で特に成績優秀な者にフレーム上部に恩賜の刻印がある特に念入りに仕上げられた銃が天皇陛下から下賜された。


東京工廠・東京瓦斯電気 南部式小型自動拳銃(御賜品)。


中央工業 十四年式拳銃(前期型)。
南部拳銃を原型にして南部麒次郎が設計し、大正14年に陸軍に制式化された。全般的に南部拳銃から簡素化された。一番の大きな違いは、南部式ではフレーム左に収納された大きな複座バネを細い二つのバネに換え、レール内に収納することによって左右対称となりスマートな外見となった。
命中精度は良好であったが、初期に暴発事故があり、後に弾倉を抜くと撃発できない安全装置が組み込まれた。その他の改良点としては手袋をした状態で引き金が引けるようにトリガーガードを大きくした点、弾倉を抜け落ちにくくした点等がある。


中央工業 九四式拳銃。
従来、将校用の小型拳銃は制式化されておらず、各人で好みの銃を私費購入していた。そこで南部銃製作所が軍部から十四年式実包を使用でき、十四年式拳銃よりも軽量・構造簡単で安価な条件を満たす拳銃の設計・制作の依頼を受け、皇紀2594年(1934年)に制式化された。
小型拳銃としては大きめの実包を使用し、小型軽量化されたため命中精度はそれほど高くない。また弾倉を銃から外すと引き金が引けなくなる安全装置が付いていたが、シアの一部が露出しており、薬室に装填した状態でシアが強く押されると暴発する危険性があった。





九八式航空機搭載旋回機銃。昭和13年(皇紀2598年、1938年)に陸軍制式。ドイツ ラインメタルMG15をライセンス生産した銃。簡単な構造で部品点数も少なく、分解組立簡単、作動良好のうえ、命中精度も良いので、海軍でも一〇〇式として採用された。口径7.92mm、75発鞍鞄型弾倉。


九八式高射機関砲20mm。昭和13年(皇紀2598年、1938年)に陸軍制式。使用弾薬も含め高性能な火器であり、運搬方法も車輪付銃架をけん引する方法・搭載車に載せる方法のほか、分解し運搬することができ、車両などが入らない場所への移動が可能であった。口径20mm、装弾数20発箱型弾倉、重量約38kg。最大射程は対空1000m、対地6300m。


一式固定機関銃。昭和16年(皇紀2601年、1941年)に陸軍制式。陸軍戦闘機の7.7mm機銃の威力不足を補うために50口径のブローニング機構の機銃を制式化した。他国のブローニングと異なるのは後尾の緩衝器が油圧方式になっている。


九二式七粍七旋回機関銃。ルイス製機関銃をライセンス生産した海軍の航空機用旋回機関銃。軍艦の対空防御用として使用された。使用弾薬はイギリス軍と同じ.303ブリティッシュ(7.7mmx56R)弾で、日本陸軍の7.7mm弾との互換性は無かった。口径7.7mm、装弾数47発、重量12kg。


一式旋回機銃二連。昭和16年(皇紀2601年、1941年)に陸軍制式。機構をチェコ機銃から、弾倉をドイツのMG-15から採用。非常に小型何連旋回機銃で、戦時中のアメリカのレポートにも「一丁の空間に二丁をまとめた優れた設計」とあり、日本海軍も一〇〇式として制式化した。口径7.92mm、100発鞍鞄型弾倉、重量15.6kg。

パート2へ続く

写真:王清正


2023/11/21


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