トイガン史 1963 ~ 1993 - あるガンマニアの追憶 -

トイガン史 1963 ~ 1993 - あるガンマニアの追憶 -

文 出二夢カズヤ
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第5回 1983~1984年 サバイバルゲームのはじまり

「SURVIVOR GAME」という記事が掲載されたコンバットマガジン1983年5月号は、日本に初めてサバイバルゲームというものを紹介した、歴史的に重要な1冊である。

コンバットマガジン1983年5月号
日本に初めてサバイバルゲームという遊びを紹介した、記念すべき1冊。今や知らない人のいないサバイバルゲームは、ここから始まったのである。

イチローさんの筆による、臨場感に溢れたサバイバルゲームのレポートを読んだ時の興奮は、30年以上経った今でもまざまざと蘇る。
それまでも、モデルガンやエアガンでの「撃ち合いごっこ」を楽しんではいたが、あくまで雰囲気を楽しんでいただけで、そこには勝敗も何も無かった。明確なルールを設けた上で勝敗を争う、本気の撃ち合い…、想像しただけで血が沸き、肉が踊るではないか!

サンフランシスコで始まったというアメリカでのサバイバルゲームは、いわゆるペイント弾を撃ち出す特殊なCO2ガスガンが使用されていたが、同じものを日本で入手することは、法律上不可能である。では何を使うべきだろうか。そんな時、まさにあつらえたかのように、マルゼンのKG9が発売されていたのだ。

マルゼンのKG9

しかし上述の記事が発表された時、トイガンを取り巻く環境は未だモデルガンを中心に回っていた。サバイバルゲームが普及するだけの土壌が整っていなかったのもその原因だが、技術的な成熟期を迎えていた各モデルガンメーカーが非常に完成度の高い新製品を次々とリリースしていたこともその理由だろう。しかし、導火線には確実に火がついていた。

状況のターニングポイントとなったのは、1983年6月末。モデルガンとエアガンのハイブリッドとも言える意欲的新製品、スーパーウェポンシリーズ第1弾のM16A1が発表されたことだったように思う。

コクサイ スーパーウェポンシリーズ
コクサイスーパーウェポンシリーズの雑誌広告。中央は後に発売されたレミントンM700で、BB弾の発射と同時に火薬の激発音と反動が楽しめるというコンセプトの製品だった。

BB弾の発射に必要なピストンのコッキングを、火薬の力によるブローバックでまかなうことで、セミオート射撃を可能にするという斬新な発想には驚かされたが、この新製品を、生粋のモデルガンメーカーであるコクサイが開発していたということこそが真の衝撃だった。

実際に発売された製品は、残念ながらその発想を100パーセント具現化するには至らず、モデルガンとしてもエアガンとしても中途半端な仕上がりだったが、その製品をコクサイが開発したという事実が業界全体に与えた影響は、決して小さくなかったように思う。

そして迎えた1984年。この年がトイガン業界の一大転換期だったと言えるだろう。
昨年まで続々と発売されていたモデルガンの新製品は、はっきりとその数が少なくなり、従来製品も、組み立てをユーザーに委ねることで価格を抑えた「組み立てキット」という販売形式が採られるようになった。

我々のように長年モデルガンに親しんでいるマニアにとって、これは喜ばしい傾向だったが、バラバラのパーツを組んだだけではまともな動作が望めず、きちんと動かすにはそれなりの調整が必須だったため、かえって間口を狭めてしまった感がある。

マルゼン ミニウージー
KG9に次いで発売された、マルゼンの長物エアガン第2弾、miniUZI。UZIファンの私は発売後即購入したが、KG9の使いやすさには及ばなかった。

対してエアガンの方はと言えば、マルゼンからKG9の後継機であるミニウージーと、擬似ブローバック機能が楽しいM59。コクサイからは、スーパーウェポンシリーズ第3弾のレミントンM700(第2弾はXM177E2)。

また、コクサイ同様に老舗モデルガンメーカーだったマルシン工業からは、美しい木製ストックを備えたM1カービンと、モデルガン並みの外観を持ったエアガンが次々に発売されて行った。これではユーザーの興味が移り変わってしまうのも仕方のないことだろう。

マルシン M1カービン
マルシン工業初のエアガン、M1カービンと、バリエーションモデルであるレンジャーカービンの雑誌広告。どちらも当時最高レベルの命中精度を誇ったが、初速の低さには辛いものがあった。

友人を募って、初めてのサバイバルゲームを体験したのもこの年だった。ついに購入したマルゼンKG9を早速投入したのだが、実際にゲームを戦ったことで性能アップの必要性を痛感。以後、いかにしてパワーと命中精度を上げるかの研究にのめり込んで行く。この時点で、興味の中心はモデルガンからエアガンへと完全に移行していた。

この頃、上述した友人の伝手で、コンバットマガジン初代編集長と親しくさせていただいたことから、サバイバルゲームを本格的に流行らせるためのプロモーション活動にスタッフとして同行。講談社の写真週刊誌、FRIDAYの創刊準備号の撮影を皮切りに、民放各局の情報番組や、今も放送が続いているタモリ倶楽部の収録に参加するという、信じ難い経験をさせてもらった。

これでもかと言うほどの強力なプロモーションが功を奏し、サバイバルゲームは一般にも広く認知され、その道具たるエアガンの人気も爆発的なものとなった。昨年の春に火がついた導火線は、ここに繋がっていたのだ。

この年のクライマックスは、11月に御殿場で開催されたサバイバルゲーム大会だろう。蒲田のガンショップ「むげん」の主宰によって行われたこの大会は史上初にして、200名もの参加者が集まるという大規模なものだった。

私は、コンバットマガジンスタッフを中心に編成したチーム「ファントム」の一員として参加していたのだが、恐ろしいことにこの大会には、レギュレーションというものが存在しなかったのだ。

そんな状態で行われた試合がどんなものだったか、詳しい内容についてはあえて言及を避けるが、この大会ではっきりしたのは、「パワーと弾数がすべて」という身も蓋もない結論だった。長きに渡る不毛なパワーアップ戦争は、まさにここから始まったのである。

暗雲を漂わせつつ暮れたこの年だったが、年末にJACという意外な企業から、革命的な新製品が発表された。フロンガスを使用する世界初のフルオートエアガン、バトルマスター。この1挺から、トイガンを取り巻く環境は新たなステージへと突入して行く。


資料協力:マルシン工業、コンバットマガジン、永田市郎、コクサイ

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小林太三 (こばやし たぞう) 出二夢カズヤ (でにむ かずや)

1965年6月、埼玉県生まれ。物心ついた時からの鉄砲好き。高校時代に月刊コンバットマガジンの初代編集長と知り合ったのをきっかけに、1985年に比出無カズヤとして、同誌にてライターデビュー。以来1990年代初頭まで、トイガン業界の裏と表を渡り歩く。
一時的な引退の後、2012年に業界復帰。約5年のGunsmith BATON在籍を経て、現在は八王子Easy SHOOOOOTING! 勤務。自称日本一のUZIフリーク。

ブログ UZI SIX MILLIMETER
http://uzi9mm.militaryblog.jp/



2018/05/08

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