戦争を知らない自衛官はイラクで何を見たか? 『陸曹が見たイラク派遣最前線』

戦争を知らない自衛官はイラクで何を見たか?
『陸曹が見たイラク派遣最前線』(並木書房)
伊藤学著(元2等陸曹)
四六判216ページ+口絵8ページ・定価1500円+税

極限の環境に身を置けば自分はもっと強くなれるかもしれない──。16歳で自衛隊に入隊し、戦車乗員を務める陸曹は、イラク派遣の希望調査に「熱望」と大きく記入した。2004年8月から3か月、第3次イラク復興支援群の一員として灼熱のイラク・サマーワに展開。炎天下での車両整備、緊張の物資輸送任務、宿営地に撃ち込まれる迫撃砲弾・ロケット弾、外国人兵士らとのつかの間の交流……平和な日本では決して味わえない濃密な日々。青春を自衛隊に捧げた元2等陸曹の戦場体験記!

まえがき

戦場から帰還した兵士には二つのタイプがいるという。一つは戦争体験を自ら語り、世に伝え、広める者。もう一つはいっさい口を閉じ、沈黙する者。どちらが良い悪いということではない。
戦闘という極限状態で見るもの、聞こえる音、感じるものは、いま私たちが享受している平和な日常とはおよそかけ離れたものである。どんなにリアルな映画や映像ですら現実には追いつけないだろう。だからこそ一般の人々に戦場の実像を伝えたいと思う者がいる一方で、現実は伝えるべきではない、自分自身も思い出したくないと思う者がいても不思議ではない。
私は2004年8月から11月、イラク南部のサマーワでイラク復興支援群の一員として任務についた。その間、日本では聞けない種類の銃声を聞き、迫撃砲やロケット弾の攻撃を受けた。宿営地の中も外も危険と隣り合わせだった。
自衛隊のサマーワ派遣の際、サマーワは「非戦闘地域」とされたが、サマーワ宿営地には何度も迫撃砲やロケット弾が撃ち込まれ、市内では毎日のように銃声が響き渡っていた。そこは実弾が飛び交う「戦場」だった。
サマーワでの任務を終えて帰国し、約3年後に自衛隊を退職した(その経緯は本書に記した)が、いつかサマーワで体験したことを記録として残し、広く伝えたいと思うようになった。2020年、メールマガジン『軍事情報』で「自衛隊・熱砂のイラク派遣90日」として連載させていただいた。そして今回、大幅に加筆・修正して書籍化することができた。
自衛隊イラク派遣に関する書籍は複数あるが、その多くは指揮官、幹部クラスの隊員が執筆したものであり、実際に現場で任務についた曹・士(下士官・兵)の声や姿、任務の実態はほとんど明らかにされていない。彼ら彼女らの声を代弁したいという思いも本書を書く動機の一つである。
そうはいっても「自分にあの日々のことを本にして世に出す資格があるのか?」「15年以上前の出来事を今さら書いて何になるのか?」と、何度も自問自答した。
しかし、沈黙していれば、サマーワでの私の体験は後世に伝わることなく私の中で消え去ってしまう。これだけは避けたい。公式記録には記されていない生の声を伝えねばならない。
「誰もやらないなら自分がやる」
そう肚を決めて、あの時のことを書き始めた。
いまや多くの日本人には関心がなくても、かつて酷暑のイラクで命がけで任務についた自衛官たちがいたことを記録として残そう。たった一人の読者であっても伝えることができればそれで満足だ。
今も、アフリカ・ジブチやアデン湾で海賊対処活動、中東地域で情報収集活動など、海外で任務についている自衛官がいる。彼らの活動状況、出国・帰国はほとんどニュースにならないが、この本が厳しい環境での海外派遣任務につく彼らを知ってもらうきっかけとなることを願い、そして、彼らがそれぞれの任務を完遂し、無事日本へ帰国できることを心から願っている。

伊藤 学(いとう・まなぶ)経歴
1979(昭和54)年生まれ。岩手県一関市出身、在住。岩手県立一関第一高等学校1年次修了後、退学し、陸上自衛隊生徒として陸上自衛隊少年工科学校(現、高等工科学校)に入校。卒業後は機甲科職種へ進み、戦車に関する各種教育を受け、第9戦車大隊(岩手県・岩手駐屯地)に配属、戦車乗員として勤務。2004年、第3次イラク復興支援群に参加。イラク・サマーワ宿営地で整備小隊火器車輌整備班員として勤務。2005年、富士学校機甲科部に転属、砲術助教として勤務。2008年、陸上自衛隊退職。最終階級は2等陸曹。現在、航空・軍事分野のカメラマン兼ライターとして活動中。