ドイツ戦車解説 超重戦車マウス

Panzerkampfwagen «Maus» at the Kubinka Tank Museum

Panzerkampfwagen «Maus» at the Kubinka Tank Museum

超重戦車マウスは、ドイツが実際に試作した史上最大の戦車である。

マウスの開発は1942年6月にポルシェ博士がヒトラーから、128ミリ砲を搭載した重戦車の設計を受けたことに始まる。最大装甲厚は240ミリにも及び、その重量は188トンと桁外れな巨体であった。

ヒトラーは当時、巨大な火砲を搭載した兵器に非常に興味を持っていたと言われている。他にも1,000トン級戦車など、超巨大戦車の計画をさせていたことが明らかとなっている。

マウスの図面は1942年6月23日に提出され、1943年1月に製作が開始された。このマウスもエンジンにはガソリンエンジンと電動モーターを2基使用し、ガソリンエンジンで発電をさせて、車体を動かすのはモーターという仕組みであった。

ガソリンエンジンには航空機用のダイムラーベンツMB509水冷式エンジンを搭載し、その出力は1,080馬力の予定であった。

しかしこの方式は、前回にティーガーⅠ重戦車の試作時にポルシェが提案した方法と同様であり、ポルシェの開発したティーガー(P)重戦車はいざ走行をさせようとエンジンを動かすと、電気配線が大電量で燃えだしてしまい、車体から白煙を噴いたまま動くことが出来ずに、結局は不採用になった経験があった。

実際にマウスの開発が始まると、搭載予定エンジンの不備や、ポルシェ式縦置き板バネ懸架装置が装着できないなどの問題が発生した。困難の末、1943年12月に重量のみ本物と同じ、ダミー製のコンクリート製砲塔を乗せた試作1号車が完成した。その後、完成した試作1号車を利用して、走行テストが実施されている。

1944年6月には完成した砲塔を搭載した車体が完成したが、ヒトラーの興味は既に失われていた。1944年11月1日にヒトラーから全ての超重戦車や量産計画の中止が伝えられた。マウスは1943年5月5日に135両の発注をクルップ社は受けていたが、これで生産は全てキャンセルされた。

当時、既に2両のマウスが完成していたが、2両目のマウスにはダイムラーベンツMB517水冷式ディーゼルエンジンが搭載されており、その出力は1,200馬力だった。

マウスはその188トンという重量の為に、川に架けられた橋を渡ることが出来なかった。その為車体は完全防水化され、川を潜行して渡る為にシュノーケルを装備していた。マウスの乗員は6名であり、主砲は55口径128ミリ砲を装備し、副砲には36.5口径の75ミリ砲を装備していた。また、時速20キロの最大速度を出して走ることが出来た。その行動距離は97キロだと言われている。結局、実際に製造されたのは、試作車として製造された2両のみであった。

ダミー砲塔を乗せた試作1号車は、1945年の終戦間際に、クンメルスドルフ試験場に放置されていたのをソ連軍によって、無傷の状態で捕獲されたという。一方の試作2号車は実戦参加の為に、試験場から14キロ離れたツォッセン市シュタンプラーガー広場まで来たところで行動不能となり、自爆放棄された。

現在ロシアのクビンカ戦車博物館に展示されているマウスは、捕獲された1号試作車の車体に、爆破された2号車の無傷だった砲塔を載せた物だという。

(藤原真)