大戦を駆け抜けた主力戦闘機メッサーシュミットBf109

メッサーシュミットBf109はドイツを代表する戦闘機として有名である。その開発は1936年に初期型のD型はスペイン内乱に参加して機体の優秀性を示した。

その特徴は小型な全金属性モノコックの機体に強力なエンジンを装備することで、その戦闘方もロッテと呼ばれる2機編成で、ロッテが2つで4機編成シュバルム(小隊)を構成する。更にシュバルムが3つ集まって1個中隊を構成するシステムとなっていた。大戦初期の各国は3機編成となっていたが、後に各国もドイツの編成法を採用するに至った。

その戦法も一撃離脱戦法を採用し、より高速性に重点が置かれていた。E型は初期の代表型でエンジンにはダイムラー・ベンツDB601A液冷式1.100馬力エンジンを装備し、最大速度は時速555kmを出すことが出来た。武装には機首に7.7ミリ機関銃を2門装備し、翼内には20ミリ機関砲を2門装備し、ドイツ軍初期の主力機となった。その機は多くのエースパイロットを生んだ機体でもあった。

1941年にはエンジンをDB601E型1.350馬力に換装したF型が登場した。F型はE型を再設計した洗練された機体で、その最大時速は606kmを記録した。更にF型ではプロペラ軸内のモーターカノン砲が実用化されたこともあり、翼内砲は廃止されている。軸内砲は15ミリ、或いは20ミリ砲を装備し、相当な戦果を挙げている。

更にBf109の最終生産型であるG型が生産された。これは列強の新型機が性能を上げていく中で、Bf109の優位性が保てなくなったからである。エンジンはDB605型1.500馬力に換装し、最高速は時速621kmに達したが、Bf109の性能は既に限界まで達せられており、1941年からフォッケ・ウルフFw190A戦闘機が配備されたが、高度が6.000メートル以上ではいきなり性能が低下するという欠点があった。その為に、ドイツではBf109とFw190とドイツの敗戦までこの二本立ての戦闘機体制を保ったのである。

また、Bf109は主脚の形状上、極めて着陸が難しく、その操縦には熟練を要したと言われている。更に基本設計の古さから、翼内機銃や燃料タンクが装備できないなどの欠点を持っていた。

しかし、当時の練度の高いパイロット達はこの機を自在に操縦し、エーリヒ・ハルトマン少佐の352機の撃墜を始め、数多くのエースパイロットを生み出している。その総生産数は30,500機で戦闘機史上最多である。

(藤原真)