ドイツ軍を度重なる危機から救った88ミリ対空砲

ドイツ軍の使用した8.8cmFlak36/37高射砲は対戦車砲として、あらゆる戦場で活躍をした。本来高射砲である8.8cm高射砲は、どのようにして最高のタンクキラーとなったのであろうか。

一般に8.8cm砲を対戦車砲として最初に使用したのは、1940年の対フランス戦でのロンメル将軍だと言われている。彼は連合国の重装甲戦車マチルダMkⅡ戦車に対して、ドイツ軍の主力戦車であるⅢ号戦車の50ミリ砲では、マチルダ戦車の最大装甲厚78ミリの装甲を貫通が出来ないことに苦慮した。そこで高射砲であった8.8cm砲を、急遽対戦車戦に使用したのである。その結果、Ⅲ号戦車では貫通することが出来なかったマチルダMkⅡ戦車の装甲を、いとも簡単に貫通することが出来たのである。

その後、ロンメルはアフリカ戦線においても同様の活用をした。そしてドイツ軍は重装甲の敵戦車を難なく撃破することが出来たのである。実際に幾つかの戦場では8.8cm砲の活躍で英軍を破ったことがあった。

最も有名なのが、1941年6月15日から始められた連合国の攻撃であった。作戦名は「バトル・アクス」と名づけられ、特にハルファヤ峠での戦いはおよそ3日にも及んだ。8.8cm高射砲は、この陣地に5門が配備されていた。この3日に及ぶ戦闘で、英軍はマチルダを含めた64台の戦車と27台の巡行戦車を失ったのである。

8.8cm高射砲はドイツ軍兵士から「アハト・アハト」と呼ばれ、その攻撃力から兵士達から絶大の信頼を寄せられていた。実際8.8cm高射砲は距離1,800メートルの距離で、85ミリの装甲板を貫通する威力を持っていた。しかも、高射砲としての性能は最大射程10,600メートル。初速815メートル/秒で毎分15発以上の砲弾を発射することが出来た。

血生臭い東部戦線とは異なり、アフリカ戦線は第一次大戦以来の「騎士道精神」が生かされた唯一の戦場だと言われている。それだけ敵の捕虜に対する対応も丁寧であった。そんな中、彼等英軍捕虜はドイツ軍が対空砲を対戦車戦に使用するのは卑怯だと非難したという逸話が残されている。それだけ英軍も8.8cm高射砲の威力を恐れたのである。

また、8.8cm高射砲は台車に乗せられ、その移動も極めて容易であった。これらを踏まえて、8.8cm高射砲はドイツ軍の展開するあらゆる戦線で使用されたのである。

だが、その陣地を構築するには問題もあった。それは1枚の防御板しか防御機能がなく、一つの場所に留まって射撃を続けることは、相手に高射砲の位置を簡単に知らしめた。その結果、数発の射撃後に陣地を移動するなどの配慮が必要であった。

また、連合軍を恐怖の的に陥れたティーガーⅠ重戦車に搭載された8.8cm砲は、この高射砲を元に車載型に改造された物であった。その威力はティーゲルⅠ重戦車の後の活躍を見れば明らかである。

(藤原真)