ドイツ機械化部隊と一般部隊

ドイツ軍の装甲師団と言えば、誰もがフランス戦での電撃戦を想像されることだろう。これら装甲師団は戦車を中心として、歩兵が搭乗したトラックでの高速移動を可能にしていた。

まず強力な敵の軍に、空からJu87Bスツーカ急降下爆撃機が爆弾の雨を降らせる。スツーカにはサイレンが搭載されており、急降下爆撃をする際に、サイレンが鳴り響き敵の戦意を削いでいくのである。

混乱している敵に対して、大量の戦車が陣形を作りながら突撃して敵の主力を打破していく。そして、最後には歩兵が登場してきて敗残兵を掃討していくのである。

これらの電撃戦における戦闘において、ドイツ軍は自軍の損害を最小限に留めて置くことが出来たのである。

ドイツ軍では1940年5月の時点で装甲師団は僅か10個師団に過ぎず、ドイツ軍が当時保有していた戦車数3000両の内、最新式戦車である、Ⅲ号、Ⅳ号戦車は合わせても僅か300両にすぎなかった。

その他、129個の歩兵師団と4個の自動車化歩兵師団を有していた。ドイツ軍の主力は歩兵師団だったのである。

当時のドイツでは自動車化部隊とされた歩兵を狙撃兵と呼んでいた。当初の装甲師団には2個戦車連隊からなる1個装甲旅団と1個狙撃兵連隊、1個狙撃兵オートバイ大隊からなる一個狙撃兵旅団から編成されていた。また、各師団によって必ずしも編成は統一されておらず、急増された装甲師団には特に、兵員の配備にばらつきがあったという。

自動車化された歩兵部隊は常に最前線に送られ、死闘を演じていたのだから、彼等はエリート部隊所属ということになるだろう。逆に、一般歩兵部隊は列車で運ばれて、最前線までトラックに乗せられるか、或いは徒歩で行かねばならなかったのであり、ある意味二線級部隊だったとも言えるだろう。

(藤原真)